ども、イマシタです。
前回、存在感について「虚構に虚構を重ねると、そこに生きてない人になる」
というお話までしました。
「虚構に虚構を…」なんて書いてるとなんのこっちゃ解らなくなってしまいますが、ようするに、存在感を出すためにはどうすればいいかということな訳です。
…え?みんな、存在感出したいよね?
ここにいるって言いたいよね?
あ、あくまで表現者を目指してる人ですよ。
ひっそりと仙人みたいに暮らしたいって人は、大丈夫です。
あ、でも、そんな人でも、読んでみたら、その逆のことをすればいいわけで…
とにかく、今回は、表現をする現場=虚構の世界で、いかにして生きた人間をやるかについて
「存在感」を通して僕の考えを言いたいと思います。あくまでも、僕の考えです!
この内容は
- これから俳優を目指そう
- これから声優を目指そう
- シニアモデルをやってみたい
- 体を使った表現をしたい
- 表現においての存在感を身に着けたい!
てな事を考えている方には、何かヒントになるかもしれません。
虚構空間でどのようにして生きた人間として存在するか?
なんか、文字で書くと、やたら難しく感じますね。
虚構の世界で生きた人間で存在するためには、そりゃあ、いろいろな要素が必要になってきます。
でも、最も大事なことは呼吸をするという事だと思うんです。
…あれ?そんな当たり前のこと?と思ってます?
そう、当たり前の事なんです。が、これが結構難しいんです。
例えば、朝礼とか、国語の授業での朗読なんかで、大勢の前で発表することがありますよね、まれに。あと入社試験の面接とか。
その時、自分の呼吸がどうなってるか考えてみてください。
緊張で息苦しくなり、いつもはしないような所でブレスをし、変なしゃべり方になった経験はありませんか?
あるいは、好きな人の前で話すとき、ドキドキして、蚊の鳴くような声で話したりした事ありませんか?
その時、普通に生活しているような呼吸ができてますか?
多くの人は、日常とは違う場面では、普通に呼吸をするということは難しいんです。
これが現実世界のリアルなシチュエーションであれば、何ら問題ありません。存在というものを意識しなくていいんですから。
でも、表現する現場=虚構の空間で存在するためには、たとえ大勢が見ている舞台上でも、たとえ自分を映しているカメラの前でも、たとえ狭いブースの中でマイクの前に座っていても、たとえ決められたセリフがあるとしても、日常の呼吸ができないと、そこに生きている人はできないのです。
そういう意味で、普通の呼吸をする、普通の呼吸ができるということは大切なことと思うんです。
よく、芝居の稽古をしてて、セリフとセリフの間に変な間が空くときがあります。
後、ラジオドラマの収録でも、会話の前にほんのちょっとの間ができて、生きた会話にならないことがあります。
そんな時よく
ちょっと!そこ、間ぁ詰めて!
なんて言われたりします。
んで、慣れてないと、そこの間を詰めることに一生懸命になって、それこそ生きた会話になりにくいんです。
なんでそんな現象が起きるのか?
それも呼吸してないからなんです。
多分こう考えてるんじゃないですか?
あ~~~もうすぐ私のセリフだ!今相手がここ読んでるから、ここの言葉終わりを待って、すぐに私のセリフ言うんだ!もうすぐ…もうすぐ…もうすぐ…いまっ!
の瞬間息を吸うんです。だから、ちょっと間が開くんです!今か今かと待ち構えてる時、息してないんです!=呼吸してないんです。
だから、そんな時僕は
間を詰めると考えるんじゃなくて、普通に呼吸をして、相手の言ってることをよく聞いて、その聞いたことに答えればいいんじゃないかな?
と説明します。
これは、日常、誰でも普通にやってることです。
でも、セリフがあったり、虚構の空間であったりすると、普通の事が出来なくなるんです。
だから、普通に呼吸ができること。
それが一番大事だと思うんです。
自分のセリフが来るまで息をひそめて、いざ自分の番が来た時、息を吸ったりしていませんか?
虚構空間でどのようにして立つか?
もう一つ、存在感を出すためには立ち方という要素も大事です。
これもたまにあることなんですが、芝居の初心者が演技するとき、ちょこちょこちょこちょこ動くんです。小さく足踏みをする感じとでも言いますか。
後、たまにオーディションの審査員側の時があるんですが、ここでも、四六時中動いてる人がいます。
わかります!緊張してるんでしょう。お芝居してるから何かしら動いてしまうんでしょう。
でも、地に足をつけるとはよく言ったもんで、ちょこちょこちょこちょこ動けば動くほど、その人の存在感は薄れていきます。
では、ちょこちょこ動かずにただ立っていればいいのか?
まあ、ちょこちょこ動くよりはいいかもしれませんが、それだけでは存在感を出すのには不十分でしょう。
じゃあ、何が必要か?
それは、下半身、もっとわかりやすく言えば、重心の位置だと思うのです。
僕は依然、狂言のシテ方のかたと一緒にお芝居をした事があります。
その時の、その方の存在感たるや!
そりゃあそうですよ。日本の最高の伝統芸能なんですから。僕とはくらべものにはならないですよ。
でもね、立って普通に話してる時は普通なんですよ。当たり前か。
何が言いたいかというと、能や狂言の、あの、独特な型に何かヒントがあるんじゃないかって思ったんです。
あの、ちょっと足を曲げた?歩き方(運びと言うらしいです)や立ち方。あれです。
あれによって、重心が下がるのではないか?それによって存在感が増すんじゃないかって。
でも、芝居や声優の演技の中で狂言のような姿勢をするのは難しいですよね。
だから、ともかく重心を下に置くイメージを持つことにしました。
これはね~説明すると難しいんですが、イメージとしか言いようがないんですよね。
ちゃんとしたメソッドがあるんですが、僕はそれを体得した訳でも詳しい訳でもないのでどうしようもありません。
僕学生のころ野球やってて、それもキャッチャーだったんで、下半身の重心移動はなんとなく得意だったんです。
だから、イマイチ重心を下に置くがつかめない方は、下半身を鍛えるとか、能や狂言の歩き方でどのように重心移動をしているのか確かめてみてください。
自分の重心がどこにあるのかを認識・確認することによって、重心を下に置くということがわかると思います。
重心を下に置くイメージができると、地に足がつき、ちょこちょこ動くなんてことはなくなります。
それだけでも存在感UP間違いありません。
2021/5/28早速追記
俳優トレーナーの金 世一(キム・セイル)さんのワークショップを受けた時、足を肩幅に広げ、足の裏の感覚に集中し、その、足の裏からだんだんと根っこが地中に広がっていくというものがありました。あくまでも、イメージの世界で。
その時、自分の重心が、下がった感覚を得たことがあります。
お試しあれ!
まとめ
存在感を出すために僕が考え実践してきたこと、うまく伝わりましたか?
- 表現の場である虚構・非現実の世界で生きた人間になるためには「普通の呼吸」が必要
- 表現の場である虚構・非現実の世界で存在感のある立ち方をするには「重心を下に置くイメージ」をすることが必要
と思うのです。
この二つのことを意識することで、表現における存在感は今より増すと思います。
少なくとも、この意識をしだしてからは「そこに在存はあるか!」と言われたことはありません。
それどころか、存在感を褒められることが多くなりました。
試してみる価値はあると思いますよ。
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